2011年7月6日水曜日

宮城県岩沼市ボランティア報告

 6/30 (社)都城青年会議所の仲間16名と向いました。
羽田まで飛行機でそれからレンタカー3台で宿泊先の仙台市に。
到着したのは午後6時。
ちょうど楽天vsソフトバンク戦があったのでそちらを見に行きました。
それから街中活性化の為に食事に。もちろん「牛タン」を食べました。
柔らかくて美味しいですね。タンの芯のみを使っているようです。
次の日の為に就寝。

7/1 レンタカーで岩沼のボランティアセンターへ。
お客さんで盛岡市が本社の中川石油(株)の網野社長もわざわざ応援に
私に会いに来て下さいました。
ボランティアセンターではボランティアと被災者の依頼する仕事との
マッチングが行われます。 被災者から現地で依頼される危険な仕事は
断って下さいとの事でした。
午前中、私は他9人と農場のビニルハウスの解体作業に行きました。
ここはテレビでよく出ていた病院の屋上に SOSの文字が書いてあった場所の近くです。
パセリ等ちょっと違った洋物野菜を1500坪の広さで栽培されてたようです。
ビニルハウスは形をとどめておりません。
通常なら鉄骨をクレーン等で除けばいいのですが、
もう借り入れして新築を作るのも出来ないので解体して良い鉄骨だけを利用して
息子さんの為に又ビニルハウスを作られるそうです。
画像に写っているトラクタはアメリカに海外研修に行った時の
何十年も連絡もとっていなかった仲間が突然来て
「20年間無償で貸してやる」と言って置いて行ったそうです。
通常の土の上に海からのヘドロが2、3cm積もって沼状態で作業も大変です。
匂いも凄いです。 ここも2m80cm程の波が来たようです。
震災直後の写真を見せて頂きましたが、これ以上でした。
これでも少しは良くなった方だと思います。

昼からは農園をやられている方の家からのいらなくなったものの撤去と
農園の土の整備をしました。
午前も午後もですが、被災された方も笑顔があり逆に元気を頂けました。

7/2 
土曜日という事もあって昨日の倍以上の150名を超える多くのボランティアが
あちこちから参加されてました。
実は6/30に右手の筋を負傷して力が入らないため
写真の補修作業をしました。
他JCの仲間3名も同じ場所にいてパネル展示の為の作業をしてました。
仲間が仕事のはかどりが悪いので、看板の仕事を活かして「こうしろあぁしろ」
指示するとあっという間に終わりました。仕事が活かされました。

写真の補修作業ですが、水につけて筆で砂や汚れを取り除いていきます。
取り除いたら綺麗な水の入った別のパレットにつけてすすぎます。
塩分を取り除きます。
作業をしていると、塩分のせいか表面の部分がみるみる溶けます。
下手すると全部流れて真っ白に なるので
こういった作業はどこでやめるか決断するのが難しいです。
展示場が変わるので展示パネルが必要だと思ったので、
展示パネルや看板等をキャンバンで作って送ることにしました。
偶然私がこの場所でこの作業してなければこういった行動する
事もなかっただろうし何かの縁でしょうね。

帰りに仙台石釜港に行きました。
街が基礎だけ残されてなくなってました。
ここにたくさんの笑顔があったはずなのに、子ども用の
自転車等があると涙が出てきます。
道路は通る事が出来ますが、家があった周りはかたずけられてなく
水たまり等があり、夏場になると凄く不衛生な場所になるのは確実です。

 H鋼なんかでもぐやぐにゃに曲がってました。


7/3 移動だけです。時間があれば何日でもいるんですが、
今回のボランティアで感じた事はやはり自分の目で見て行動することが
いかに大事かを感じました。一人一人の力は小さいですが行動する事で
大きな力になる事をあらためて知らされました。
皆さん行動する事はなんでもいいので力を合わせて頑張りましょう!